第3章 日本におけるアースデイの変容 (2001年─)

3.1 第I期から第II期へ

アースデイ日本連絡所は元来、1990年から2000年までの10年間の活動を予定して設立された機関であったが、解散予定時期が近づくにつれ、実際に解散するべきか否かについて、連絡所内で様々な意見が交わされるようになった。しかし最終的には、当初の予定通り解散することを選択した。解散の理由については、①特に東京において、「アースデイ」は日本連絡所が開催するものであるという固定観念が形成されつつあったこと、②10年の活動に区切りを付けることにより、これからのアースデイを担う新しいスタイルを生み出すため、③活字媒体からデジタル・ベースへの転換が進み、インターネット等を中心とした新しいやり方の検討が必要である(高橋ほか編 2000)ことなどが述べられている。

日本連絡所の解散に際し、第I期から第II期への移行を担ったイベントとして、「アースデイ2000キャンペーン」が挙げられる。これは、1998年末に「アースデイネットワーク」から全世界へ呼びかけられたキャンペーンであり、2000年以降のアースデイをより全世界的な運動として活発化させることを目的としたものである。全世界では、この呼びかけに応えた約181カ国・4500の団体が、同キャンペーンへの参加を表明した。(高橋ほか編 2000)

これを受けた日本連絡所は、1999年1月、それまでの「アースデイ◎1990⇔2000◎日本・東京連絡所」という名称を、「アースデイ 2000 企画運営委員会」(以下、「ED2000 委員会」)に変更し、新たな機関として再出発を切った。委員会の構成員は、これまで日本連絡所に関わってきたメンバーに加え、自治労や生活クラブ生協、各NPO代表らからなっており、この時ED2000 委員会の局長を務めた人物が、後に「アースデイ東京実行委員会事務局」において4年間に渡り事務局長を務めた、F氏であった。ED2000 委員会は、国内のアースデイをより大規模な運動へと展開させるべく、様々なセクターの団体に対してアースデイについての情報発信を改めて願い出た。また、研究者や芸能関係者、著名アーティストや報道関係者らからなる「アースデイ 2000 キャンペーン委員会」、歴代の環境庁長官やGLOBE・JAPAN 代表らからなる「アースデイ 2000 キャンペーン顧問団」を結成することに成功し、同キャンペーンを様々な立場の参加者で固めた。

「アースデイ 2000 TOKYO」のイベント終了後、第2部という形で「アースデイ@原宿」が開催された。同イベントでは、F氏を含む第II期以降のアースデイを担うスタッフと、それまで日本連絡所に深く関わってきたスタッフら両者によって運営が行われ、第I期から第II期への実質的な引継ぎの場となった。ED2000 委員会の主な活動はここで終了したが、2000年末に日本連絡所が解散を迎えるまで、日本連絡所の活動をどのように引き継いでいくべきかについて、両期スタッフ間で綿密な話し合いが行なわれた。(高橋ほか編 2000) 連絡所解散以降のアースデイについて、連絡所の運営に当初から関わっていたA氏は、連絡所が設立当初に目指していたアースデイの形が、2001年以降になされつつあるのかもしれない、と語った。アースデイのイベントに人が集まるからこそ、参加団体らがメッセージを発信する場として成立する。しかし第I期においては、イベントにおける集客が難しく、本当にメッセージを伝えられたかという点については疑問が残った。イベント自体の集客力も付き、様々な立場の人々が関わるようになった第II期以降のアースデイにおいて、やっとアースデイ本来の意味が成就したということであろう。

3.2 アースデイ東京

3.2.1 「アースデイ東京実行委員会」の活動概要

日本連絡所解散の際、連絡所がそれまで担っていた機能を引き継ぐ形で、新たに幾つかの団体が発足した。「アースデイ東京」の開催に関わる「アースデイ東京実行委員会」(以下、「EDT委員会」)もその1つである。EDT委員会は、それまで日本連絡所が行っていたアースデイのイベント開催業務を引き継ぎ、東京都内でのアースデイをより定着・発展させる為に、日本のアースデイにおける象徴的なイベントを開催することを目的とした団体である(高橋ほか編 2000)。以降毎年、代々木公園や渋谷を中心に、大規模なイベントを開催している(表5)。またEDT委員会においては、第I期に日本連絡所が行っていた、アースデイ開催者間のネットワーク形成に関わる活動は一切行なわれていない。*1

アースデイ東京における主なイベント内容としては、①有名アーティストらによるライブ、②フェアトレード商品を扱う出店企画、③ファーマーズマーケット、④エスニック・オーガニックフードの販売、⑤環境問題に対して活動を行っているNPOらによる展示・活動紹介、⑥小規模のトークセッション、⑦その他ワークショップ等が挙げられる。これら、イベントのメインとなっている基本的な企画内容に関しては、10年間でさほど大きな変化見られないが、2006年以降は新たに、アースデイ東京のイベント内で、より具体的なアクションの実践を試みる企画が多く見られるようになった(表7)。

3.2.2 アースデイ東京におけるイベント運営体制

アースデイ東京を運営する組織には、先述の「EDT委員会」と「アースデイ東京実行委員会事務局」(以下、「EDT事務局」)という2つの団体が存在する(図2)。「EDT委員会」は、アースデイのイベントを行なう際にのみ発足する団体であり、毎年1月頃から活動を始める。同委員会は、アースデイ東京において何かを行ないたいという意思を持った団体の代表らによって構成されており、全員がボランティアとして参加している。この「EDT委員会」の活動をサポートする団体として、「EDT事務局」が存在する。EDT事務局の主な活動内容は、毎年のEDT委員会発足の呼びかけ、イベントに関わる広報活動、イベント終了後の報告書の作成等であり、アースデイ前後の約10ヶ月間を活動期間としている。

アースデイ東京では、イベント全体の運営に関わる資金については、省庁など公の機関からの助成金は受け取らないことを原則としている。これは基本的には、アースデイはあくまで市民の祭典であるという考えによるものであるが、イベントの持続的な運営を考えた場合に、毎年の支給が確実でない援助に頼ることは賢明でないと考えている為でもあると、事務局長のC氏は語った。

ここからは、アースデイ東京におけるイベント運営の方法について、具体的に見ていきたい。実行委員会形式でイベントを行なう際には、まず、イベントの開催が決定した上で、実行委員会が編成され、そして実行委員会内でイベント運営に必要な諸々の作業を分担していく方法が一般的であろう。しかし、比較的規模の大きいイベントを運営する際には、広報や会計処理など、直接的な企画運営以外の作業も非常に重要になってくる。これは、アースデイにおけるイベント開催についても同じである。しかしこの時、各々にやりたいことがあってアースデイの実行委員会に参加した環境団体らが、必ずしも各々の団体が望む分野の作業を担当できないという状態が発生してしまい、結果、予想外の作業に疲弊した参加団体らは、継続的にイベントに関わる意欲が薄れ、アースデイのイベント開催自体が困難になってしまうというケースが多く見られた。

このような現状を打破するべく、アースデイ東京において2001年から採用された方法が、実行委員らによる「企画持ち寄り式」(アースデイ東京2005実行委員会 n.d.)の運営であった。この運営方法においてはまず、イベントの具体的な内容がまだ何も決まっていない状態で、アースデイに何らかの企画を行いたいと考えている団体がそれぞれに代表を選出し、これらの人々により、「EDT委員会」が結成される。EDT委員会に参加する団体は、それぞれ拠出金を出し合い、この資金を「EDT事務局」の運営費に当てる。同事務局は、イベント運営の際に必要となる、広報や宣伝活動などのイベント全体の運営に関わる諸々の作業全般を引き受ける。

具体的な企画運営以外の作業をすべて事務局が担うことによって、実行委員参加団体らは、各々が希望する企画の運営に関する作業のみを余計な負担無く行うことが出来る*2。また、それぞれの主催する企画については独立採算制が採用されており、イベント内で発生した利益についても、各々の団体が持ち帰ることが出来る(図3)。

3.2.3 2011年以降の「アースデイ東京」

2010年11月、新たに、「アースデイ東京」という会員制の任意団体が設立された。「アースデイ東京」は、主にEDT事務局の活動を引き継いだ団体であり、新たに経年組織として活動期間を延長し、恒常的な組織運営によってアースデイ東京の更なる成長を目指している。「アースデイ東京」では、これまでアースデイ東京に関わっていたスタッフら11名が理事として着任しているが、事務局長などの直接的にイベント運営に関わるスタッフに関しては人員がほぼ一新されており、内外共に新たなスタートを切ったと言えるだろう。

アースデイ東京に関しては、2001年の以降、環境問題に関する活動を、誰にでも関わることのできる、より身近なものとして紹介することに力を注いできた。そして日本連絡所と同じく活動10年目に、自身の活動に区切りを打ったことになる。2011年以降の「アースデイ東京」の方向性については、これまでの10年間の活動を土台として、そこから更により社会的・環境的に具体的な影響力を持った活動の展開が検討されている。

3.3 アースデイJP

アースデイ日本連絡所解散後、全国のアースデイに関する情報をまとめる機関は存在せず、アースデイを介したネットワークの機能は停止していたと言える。そこでもう一度、全国のアースデイを繋ぐゆるやかなネットワークを形成しようと、インターネット上のサイト「アースデイJP」が、2003年に開設された。HP開設に際して中心的な役割を担ったのは、都内で活動する藝術活動家のE氏である。E氏は2002年以降、約3回に渡り、アースデイ東京にて絵のワークショップを開催している。また独自でアースデイについての知識を深める中で、2000年以降のアースデイについても全国のアースデイを繋ぎ、海外と情報をやりとりできるような機関が必要であると考え、「アースデイJP」を開設するに至った。また「アースデイJP」開設に当たっては、須田氏や元日本連絡所スタッフらとの間でも運営についての話し合いの場が持たれた。アースデイJPの主な活動目的は2点ある。1点目は、全国で開催されるアースデイに関 する情報の収集、掲載である。現在では、アースデイJPの主旨が概ね全国的に理解されており、毎年約35件のアースデイ開催情報が、主催者らによって投稿されている。

2点目は、HP上で「アースデイ記録集」の復刻掲載を行うことである。第II期開始当初のアースデイにおいては、表7からも分かるように、環境問題の解決そのものよりも、イベント性が重視される傾向が見られ、音楽や芸術などを用いた比較的柔らかな働きかけが多く採用されていた。ここでは、市民によって環境問題を政治の場へ持ち上げるという、アースデイが開始された当初の、社会運動としてのアースデイの性格が非常に薄れており、日本で90年代に展開されていたアースデイとの間にも、その意味付けにおいて乖離が生じていた。そこでE氏は、日本におけるアースデイについて、立ち返るべき原点を掲載しておく場所が必要であると考え、記録集の復刻掲載を始めた。

「アースデイJP」では上記の活動の他にも、全国で開催される環境イベント情報や、環境問題に関連した情報を発信する掲示板が設置されており、現在も様々な団体によって盛んに活用されている。また、全国のアースデイ関連HPや、境問題関連のHP、海外のアースデイ開催者らによるHP等を網羅した200件以上のリンクが掲載されており、第II期のアースデイ開催者間のネットワーク形成において、重要な役割を担っていると言える(図 2)。


注釈
*1 記録集における須田氏やF氏の発言から見るに、日本連絡所の解散が決定した当時には、EDT委員会に加えてもう1つ、メディア関係への働きかけや各地のアースデイ開催者への情報提供などを行なう団体が発足する予定であったことが分かる。しかし2001年以降そのような団体の活動は確認されておらず、その経緯は定かではない。
*2 ライブ等のステージ企画に関しては、中立性を保つ為、事務局が運営を担当している。

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