岡島成行さんの著書『アメリカの環境保護運動』より、アースデイに関する記述を抜粋いたしました。

『アメリカの環境保護運動』 岡島成行著 岩波新書


第1章
1990年4月22日


1 アース・デー
「快晴のニューヨーク。午前九時、タイムズ・スクエアーの周辺は集まった大群衆でむせかえるようだ。通りに作られたステージにディビット・ディッケンズ 市長が上がる。今日は白人も黒人も黄色人種もない。みんな緑(エコロジー)だ。今日からみんなで行動を起こそう。』と演説すると大きな拍手がわいた」
 同じ新聞社に勤める同僚が、現地から電話で原稿を送ってきた。日本はもう夜の十一時すぎ。朝刊の締め切り時間が迫ってくるし、衛星放送を見ていてもなかなか放送しない。しびれを切らせていたところに飛び込んできた一報だった。
 「アース・デー」と呼ばれるこのイベントは、温暖化や森林破壊などに苦しむ地球環境を守ろうと、アメリカの市民団体がひらいた環境保護の大集会である。日本の集会と違ってかなり陽気だ。お祭り騒ぎというか、参加者はそれぞれプラカードを持って歩いたり、大きな地球儀を掲げたり勝手気ままに歩いていく。同僚はしばらく一緒に歩いてから、汗をふきふき近くの公衆電話から東京に連絡してきたのだった。
 この日、ワシントンでもサンフランシスコでも同じ集会が開かれ、全米で千以上の大学キャンパスで環境保護コンサートが開かれた。アメリカだけでなく、日本を含め全世界で百四十ヵ国、一億人以上の人がこの「アース・デー」に参加した。共同通信は「サンフランシスコの実行委員会本部で、デニス・ヘイズ実行委員会議長が『この日の取り組みが(環境保護の)熱狂的な爆発を引き起こすだろう』と語った」と伝えてきた。アメリカ中、いや世界中が環境保護の大合唱に包まれた一日だった。この「アース・デー」は一九七〇年に、同じヘイズ氏らが中心となって初めて開催した。その後も何回か開かれてはいたが、これほど大がかりなのは二十年ぶりだ。
 しかし、九〇年のアース・デーは七〇年のそれとはいささか趣が違っていた。第一の要因はブッシュ大統領が早々と「アース・デーに全面協力したい」と声明を出したことだ。そして第二は、大企業が競って参加を決め、四月二十二日前後の新聞やテレビ、雑誌などでは企業が提供する「地球環境を守ろう」という広告が氾濫したことである。七〇年の場合は純粋に市民運動だった。それに比べ、九〇年は「商業化されすぎた。それに政府が全面に出すぎて、単なるお祭りになってしまった」という批判も出た。


第6章
自然保護から環境保護へ


──第二次世界大戦後、「全米オーデュポン協会」が農薬公害のキャンペーンを張った。カーソンはこれに注目して一九五八年から「全米オーデュポン協会」とともに極秘に農薬調査を始めた。それから二年間、全精力を傾けたが、その時、彼女は悪性腫瘍にも苦しめられていた。さらに二年間の準備を経て、『沈黙の春』は世に出た。
 そして『沈黙の春』の出版後、腫瘍が悪化し、カーソンは一九六四年春、静かに息をひきとった。彼女は命にかえて、公害や環境問題の重要性を広く一般に教えたのである。
 この本は八年後に全米を揺るがす「アース・デー」の発端となり、それがまたストックホルムの国連人間環境会議を呼び起こし、さらに国連環境計画の設立に結びついていく。

 一九七〇年四月二十二日、公害防止、自然保護など環境保護をテーマに全米で大規模なデモが行われた。「アース・デー(地球の日)」と呼ばれたこのデモは、ウィスコンシン州選出の上院議員、ゲイロード・ネルソンの発案で、デニス・ヘイズら三人のハーバード大学大学院生がワシントンに事務所を構えたのが始まりだった。
 三人はまず、「それぞれの団体は、これまでたとえ小さくてもベストを尽くしてきた。しかし今はすべての団体が連合して闘うべきだ」と主張した。
 ニクソン政権下では閣僚の中でもこのアース・デーを巡って援助するかどうか、意見が割れていたが、三月の閣議で結局、連邦政府は十二万五千ドルの援助を決定した。ニクソン大統領はベトナム反戦運動から人々の注意をそらすのによいチャンスと読んだのだ、と言われている。
 こうして始まったアース・デーは大成功を収める。全米約千五百の大学、二千の地域、一万の学校で集会がもたれ、ワシントンに向けて行進が続いた。まさにアメリカ中がエコロジー一色になったのである、
 アース・デーより二年前の一九六八年五月にニューヨークのロックフェラー大学で三百人の環境問題専門家が集まり、大きな大会を開いたのだが、その時はマスコミはほとんど報道しなかった。わずか二年間で、状況はまったく変わったのである。
 その理由は、ヒッピー、反戦運動家、人権運動家たちが「エコロジー」に流れ込んできたからだった。ヒッピーたちは自然、原始、反都会、反物質といった考えから環境問題の改善に立ち上がった。ベトナム反戦はもはや当然のこととなり、また人権問題は黒人が主導権をとってきたため、白人たちの出番がなくなってきた。こうした状況から若者たちの意識は次第に環境に絞られ、アース・デーで爆発したのである。
 アース・デーの成功は大きかった。それまで環境についてほとんど関心がなかった人々も環境保護の大切さを悟り、市民団体に入会しはじめた。
 これを機にアメリカで「エコロジー」は完全に市民権を得た。そしてこの年、連邦政府に環境保護局が設立された。それまで、自然保護が中心だった政府の政策も、公害問題を含んだ幅広い環境問題全般をカバーするようになるのである。

 一九七一年七月一日、日本にも環境庁ができた。そして九月には新潟水俣病の判決があり、患者側の勝利に終わった。反公害の動きは世界の潮流となり、翌年の国連人間環境会議へとつながっていく。

 
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